池宮神社

御前崎市佐倉の桜が池のほとりに鎮座する池宮神社。

 

第30代敏達(びだつ)天皇(538年~585年)の頃に瀬織津姫(せおりつひめ)が池に出現されたことを縁起として創建されたそうです。

 

【ご祭神】

瀬織津比咩(せおりつひめ)命

事代主(ことしろぬし)命

建御名方(たけみなかた)命

 

瀬織津姫は大祓詞(おおはらえのことば)に登場する女神様です。

大祓詞に登場する神様は祓戸四神(はらえどよんし)とも呼ばれ

瀬織津姫→速秋津比売(はやあきつひめ) →気吹戸主(いぶきどぬし)→速佐須良比売(はやさすらひめ)

の順番に穢れを継ぎながら清めていきます。

 

大祓詞では

 

遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を

高山の末低山の末より佐久那太理に落ち多岐つ

早川の瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神

大海原に持出でなむ

 

(意訳)

大祓詞により祓われたもろもろの罪・穢れは高い山、低い山に雨とともに流され、流れの早い川や滝などにいらっしゃる瀬織津姫という神様によって海へと運ばれます。

 

ちなみに大海原まで運ばれた穢は海(河口)で待つ速秋津比売に継がれ、速秋津比売はそれを呑み込んでしまうそうです。

 

速秋津比売がもろもろの罪・穢を飲み込んだのを確認して、気吹戸主が根の国・底の国(地底)に息吹を放ち、速佐須良比売が根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失うとされています。

 

根の国・底の国というのは人々の罪穢れを全て受け入れ、許し、新しい命に蘇らせていく場所だと私は思っています。

 

それが根の国の神であるスサノオのお役目であり、底の国の神であるイザナミのお役目。

 

私達人間は光り輝くものだけに価値があり、醜いもの、腐りゆくものからはつい目を背けてしまいますが、本当は全てを受容するその世界があってこその現世であり、天上界の光がある。

 

ですから祓戸四神のお役目は、単に罪や穢を清めるというだけではなくて、闇を光に変えていく命(エネルギー)の循環を担うとても大切なものなんじゃないかと思うんです。

 

さて、桜が池には遠州の七不思議のひとつである竜神伝説があります。

 

平安末期の1169年6月13日、比叡山の皇円阿闍利が、56億7000万年後に現れるという弥勒菩薩に教えを乞うと言い残し、自ら桜ヶ池の底に沈んで竜神(大蛇)となった。

以降、秋の彼岸の中日には赤飯を詰めたお櫃を池に沈めて竜神に供える奇祭「お櫃納め」が行われている。数日後には空になったお櫃が浮いてくると言われ、遠州七不思議のひとつになっている。

桜ヶ池に沈めたお櫃が、同じく竜神伝説の残る長野県の諏訪湖に浮いたことがあるとされ、諏訪湖と地底でつながっているという言い伝えがある。これに関連して、静岡県浜松市の池の平では7年周期で池(幻の池)が湧くという不可思議な現象が起こるが、これは桜ヶ池の竜神が諏訪湖に赴く際に休息するためであるという言い伝えがある。

(wikipediaより)

 

 

 

皇円阿闍利は浄土宗の開祖、法然上人の師です。

 

私は今でこそ神社ばかり行っていますが、もともと真宗王国である石川県出身ですから仏教、なかでも親鸞聖人が好きでゆかりある場所を訪れていました。

 

法然上人は親鸞聖人の師でもあります。そのご縁で桜が池には何度か訪れたことがありました。

 

私はこの話がとても好きなんです。

 

「このように大蛇でいるのもみな後の人のため、我が身だけの修行では容易に成仏できないことを、この身をもって教えている。我がひとりこうして苦しむことで、後の人々が救われるのなら、永久に桜ケ池の底で泣き明かしたとて、この身は少しもいといはしない」と話された。

このお言葉を聞かれた法然上人は、お師匠様の慈悲にむせび、ややもして、大蛇にむかってたずねられました。

「お師匠様、大蛇には3つの苦しみがあるときいております。その苦しみはいかがなものでしょうか。」「よくぞたずねてくれました。弟子なればこその思いやりに嬉しく思うが、大蛇には八万四千の鱗があり、その1つの鱗に8万4千の虫がつき、朝となく夜となく、この身を苦しめるのがつらい。せめて、この苦しみを取り除く法門があるなら教えてほしい。」と目に一杯の涙をためて話された。

ああ、なげかわしいかな、阿弥陀如来のお力におすがりするしかこの苦しみを取り除く方法はない。

法然上人は大蛇に向かって「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えながら、水晶の数珠で大蛇の体を3度撫でられた。

すると、8万4千の大蛇の鱗は、木の葉のように風に散り、荒れ狂っていた大蛇は、涙を流して喜び「法然房よ、よくぞここまで修行なされた。

私は、なによりも嬉しく思う。」と最後の言葉を残して、池の底へ帰っていかれたという伝説がある。

 

 

こんなものは単なる伝説でしょと思われるかもしれませんが、こんなに切なる思いで生きてこられた方達がいて、今の私達が多くの教えに触れることができるんだって・・・そう思うと歴史が愛しくなります。

 

かなり脱線してしまいましたが桜が池は今もとても神秘的な場所です。

古の人々に思いを馳せ、神仏の世界を感じる一つのきっかけになればと思います。

(静岡県御前崎市佐倉5162)