誰かを思って流す涙は

宇宙船地球号で世界を遊び尽くす、愛ある皆様へ。

 

 

生きていればいろいろなことがありますが

 

誰もがみな生まれた瞬間から、死へと向かって一歩一歩歩んでいます。

 

その時がいつ来るのかはわかりません。

 

先日ふと、もしわたしがこの地上でのお役目を終えたとき

 

わたしはどうするだろう?と考えていました。

 

 

身体から抜け出した魂は、大好きな人の元へ行くでしょう

 

「ありがとう」

 

と、ただそれだけを伝えるために。

 

そっと身体を抱きしめたら

 

その人の目からは涙がこぼれるかもしれないなぁ・・・。

 

わたしの「ありがとう」の想いが甘い甘い蜜のようになって

 

いつしかその人の心の傷を 癒していくといいのだけれど。

 

 

そう思った時に氣がついたんです。

 

誰かを思って涙を流すときは

 

「その誰かを思って悲しんだり恋しくて泣いている」と

 

わたしたちは思っているけれど

 

本当は・・・

 

その誰かの魂が、わたしたちへ向かって

 

「ありがとう」って抱きしめてくれているのを

 

感じている時なのかもしれません。

 

 

 

もっと一緒にいたかった

 

もっと笑いあいたかった

 

どうして どうして

 

 

悲しみでいっぱいのときは

 

「ありがとう。愛してる」

 

その声が聞こえないだけで

 

大好きな誰かは、ありったけの愛をこめて

 

わたしたちを抱きしめているのかもしれません。

 

 

だってもし、そこにいるあなたがいつか

 

わたしを思って一筋の涙を流してくれることがあったとしたら

 

そのときは間違いなく

 

わたしはあなたへ「ありがとう。愛しています」と

 

思い続けていることでしょうから。

 

 

 

お馬鹿さんの才能

宇宙船地球号で世界を遊び尽くす愛ある皆様へ。

 

 

先日、私は人から「本当にあなたは馬鹿だよね」と言われました。

 

とても素敵な方から言われた言葉なので悪意あるものではないと思いつつも

 

「馬も鹿も人間じゃないし!せめてアホ呼ばわりが良かった~」

 

と答えたところ、こんな言葉が返ってきたんです。

 

「そうだよ。馬も鹿も人間じゃない。どちらも神のお使いだからね」

 

と。

 

 

 

そういえば神社には馬や鹿の像がよくありますよね。

 

絵馬ももともとは、神様へ想いを伝えるために馬を奉納していたものの名残だそう。

 

こういった動物を「神使(しんし)」と言うそうです。

 

神使としては他にも亀、ニワトリ、牛、猿、カラスなどなどいろいろあるのですが・・・

 

どれもみんな、今では人を罵る言葉で使われていませんか?

 

 

 

むかーし流行ったドラマで

 

「私はドジでのろまな亀です」

 

という有名なセリフがありましたが、そもそも亀は神様のお使いですし、おめでたい事の代名詞でもあります。

 

 

物忘れの激しい人のことを

 

「三歩歩けば忘れる鳥頭」

 

なんて言いますけれど、ここでいう鳥はニワトリのこと。

 

ニワトリは伊勢神宮のお使いですね。

 

太陽神であるアマテラスが岩戸に隠れたときに、コケコッコーと鳴いて夜明けを告げたのがニワトリ。

 

夜明けを告げるお役目なんて、素敵ですよね。

 

彼ら動物は素直です。そして正直です。

 

だからこそ神様と人間をつなぐお役目が果たせるのでしょう。

 

私たち人間のように過去や未来に意識をおいて、不安になったり怖がったりすることなく、今この瞬間を生きている。

 

 

私たちより動物が優れているというわけではなく、この世界でのそれぞれの役目が違うということだけれど

 

「馬鹿になる」というのは立派な才能なんじゃないかなと思います。

 

 

変人は「変わり続ける人」「変わることを恐れない人」

 

氣違いは「氣(エネルギー)が飛びぬけて違う人」

 

 

 

人と同じでもいい。

 

人と違っていてもいい。

 

たとえ、他の人がそんな意味で口にした言葉でなかったとしても

 

自分がどう受け取るかは、私が決めていいのですから。

 

 

そう思ったら、お馬鹿さんって言葉は素敵だなって思いませんか?

 

地球号の楽しみ方は人それぞれ。こんな遊び方もあるということで!

 

痛みの対症療法ではなく、原因を探すということ

実は昨日から左目がちょっと痛いなぁと思っていたんです。

てっきり私は

 

「ものもらいになったのかな?」

 

と思っていたんです。
そこで、免疫力を下げないために今夜は早く眠ろうと、いつもより早く休んだのですが、朝になってもやっぱりなんだか目が痛い。

 

悪化したら嫌だなぁ。病院行ったほうがいいのかなぁ?

 

そう思いながら鏡をのぞきこんで、下まぶたをあかんべーの状態にしてみたら、痛いと思っていた場所にまつげが入っていたんです。

 

なんてことでしょう!
最初にちゃんと確認すればいいのに、私は丸一日ものもらいで痛いのだとすっかり思い込んでいたんです(笑)

 

まつげを取り除いたらもうすっかり痛みはなくなりました。

 

 

ちょっと間抜けな話ですよね。

でも実は、心の問題でもこういうことってよくあるんです。

 

゜*。,。*゜*。,。*゜*。,。*゜*。,。*゜*。,*

 

私のこだまセッション(メール)やプライベート神社セッション(対面)を受けてくださった方はご存知だと思うのですが、私が最も時間をかけるのが「何を質問するか?」ということです。

 

 

そのため、例えばイベントなどの催事場で1回15分のカードリーディングをします・・・などというようなやり方はできません。

 

これは私個人の考えですが、それではほとんど何も解決しないと思っているからです。

 

 

多くの方に共通しているのが、最初に伺ったご相談内容の中には一番の悩みの原因が見えていないということ。

 

目の中にまつげが入っていて痛いのだから、そのまつげを取り除けばいいことなのに、とりあえず痛みを取り除こうと目薬をさしたり、いい眼科を探そうとしたりしてしまうんですね。

 

(そのうちに自然治癒することもあるでしょうし意味がないわけではありませんが^^)

 

 

ご相談される方は、お子さんのことだったり、お仕事のことだったり、恋愛についてだったりと表に見えているお悩みはいろいろです。

 

 

私はメールのやりとりや、会話の中で

 

「○○様が今一番知りたいことは『・・・・・』ですか?」

 

とお聞きした言葉を整理して確認していきます。

 

そして、左手を胸の真ん中に当てて、ご自分でその言葉を口に出して読み上げていただいています。

 

その時に違和感がないか?言葉がストンと通るかどうかをご自分の感覚で確認していただのですが、すると

 

 

ほぼ100%の方が、「違和感があります」とおっしゃいます

 

 

つまり表面的な意識では、私たちは心の痛みや悩みの根本的なところを認識できていないことが多いんです。

 

さらにご自分の心の状態や湧き上がるものをお話していただいて、また私がお話の内容をまとめて、ご自分で質問を確認するのを繰り返していただき、最終的に「ストン」と通る言葉が見つかるまで続けます。

 

 

つまり私のセッションは、ご自分の力で自分自身に向き合っていただくことがメインです。ただカードを切って「はい、ご質問の答えは○○です」というものではありません。

 

 

目が痛いことの対処療法ではなく

根本的な原因に向き合って、今の自分が望む道を見つけていくこと

 

 

だからこそ、CoCotimeのこだまセッションが大きな人生の転機になったと言っていただけるのだと思っています。

 

 

 

 

羨ましいと思うとき

周りの人を見て「羨ましい」と思うとき、ありませんか?

私にはあります。

ドロッドロの嫉妬をすることも時にはあって、そんな時は自分にうんざりしてしまうんです。

 

「あぁ、いやだなぁこんな感情を持つなんて・・・」

って。

 

でも、こんな話を聞いたことはありませんか?

 

 

『羨ましいと思うときは、自分がそうなれるということを潜在的に知っているからこそ起きる感情だ』って

 

 

 

自分にとって縁がない人には、どんなにすごい人であっても「羨ましい」という感情は起きてこないんです。

 

もしも

 

「いやいや、私は人に羨ましいって思うことがあるけれど、とてもじゃないけどあんなすごい人にはなれないよ!」

 

と思うのであれば、その思い込みが不要なだけで、羨ましいという感情を否定する必要は全くないんです。

 

むしろ、誰かに対してそんな氣持ちを抱いたら

 

「そっか!もうすぐ私はああなるんだ♪」

 

って喜んでいいくらい。

 

 

これまでの経験でこんな過程でこんな結果だったから、私の限界はここまでに違いない

 

 

そんな思い込みはいらないんです。

 

人を羨んだり、妬んだり、そんな感情は悪いもので持たないほうがいいと否定している限り、ここに氣がつけないんですね。

 

あなたの潜在意識から「あんな風になりたいんでしょ?あなたもいつだってなれるのよ」というお知らせが、そんな感情になって表に出てくるだけ。

 

 

今という現実は、過去の積み重ねがあって起きるものじゃなんです。

 

『トキ』というものは、未来から今に向かって流れている。

 

過去は関係ない。

 

羨ましいあの人は、ほんのちょっと先の未来のあなたの姿。

 

あの人は私にないものを持っているんじゃなく

あの人は私の中に既にあるものを教えてくれている

 

どうか自分の感情を否定しないでくださいね。

 

そしてもっと素敵な私に、素敵なあなたになることを一緒に楽しんでいきましょう!

 

あなたが一番愛されてる

先日、福井県の越知山にある大谷寺(おおたんじ)のご住職とお会いしてお話を聞かせていただく機会がありました。

 

この大谷寺というのは白山を開山された泰澄大師ゆかりのお寺です。

その時にこんなお話をお聞きしたんです。

 

「私には息子がいて、決して息子がかわいくなかったわけではなかったが、それでも孫ができたとき、こんなにもかわいいと思える命があるものなのかと思った。

孫がこんなにかわいいものであるならば、まだ見ぬひ孫はもっと愛おしく思うに違いない。

 

私やあなたがこの世に生きているということは、そこに必ず親がいる。

父と母なく生まれてきた人は1人もいない。

その父と母にもそれぞれ父と母が必ずいる。

2代さかのぼると4人。3代さかのぼると8人。

たった10代さかのぼっただけで、あなたにつながる命は2046人になる。

20代さかのぼれば200万人を超えてしまう。

中には事情があって親と暮らせない子もいたであろうし、辛い思いをして生きている人もいるだろう。

けれども、あなたにつながる命のつながりの中で、今のあなたが最も愛されているというのは紛れもない事実なんだよ。

あなたが苦しんだり悩んだり頑張ったりしている今を、『あぁ、愛しや』と思いつづけてくださっている命のつながりが誰にもある。

数え切れない命のつながりの中で、最も愛しく愛されているのが今の私たちなのだねぇ。

 

今は目に見えるものしか信じないという風潮が強いのかもしれないけれども、目に見えない力というのは、そんなあなたにつながる、あなたを愛しいとおもってやまない命のつながりのことを言うのではないかな。」

 

 

私の記憶で書いているので正確ではないかもしれませんが、そんなお話でした。

 

これは「だからご先祖に感謝しなさいよ」という単純な話では決してないと思うんです。

 

私たちはそれだけ愛されるに値する存在だからこそ、今ここに生きているということ。

親の願いって、子どもに立派な人になって欲しいとかお金持ちになって欲しいとかそんなことじゃないですよね。

感謝されるのは嬉しいけれど、それよりももっと嬉しいのは、子どもが自分らしく生き生きと命を輝かせて生きることだと思うんです。

 

自分たちの命の先頭で生きている子どもが、自分を否定しながら生きていたらこんなに悲しいことはないでしょう?

だって愛の結晶なのだから。

 

 

白山の神様はイザナミなのですよね。(一般にはククリヒメとされますし、もちろんククリヒメも大切なお役目でいらっしゃるのですが、今はイザナミとしてお話しますね)

イザナミは黄泉の国の女神なので、醜くておどろおどろしい神だと思われるかもしれませんが、私が日本の神々の中で最も大好きなのがイザナミなんです。

 

この地球を生み出し、全ての命が生まれる大元となった一番最初のお母さん。

それがイザナミだと私は思っています。

10代さかのぼれば2046人。ほんの江戸時代ほどの話です。

30代さかぼのれば20億人になるそうです。

イザナミは、その数えつくせないほど多くの命のお母さん。正真正銘のビッグマザー。

 

私たちは誰もが死んでいきます。それは悲しくて寂しいものですけれども、もし人生に死というゴールがなければ、どんなに苦しいことでしょうか。

どんなに楽しいゲームでもゴールがなくて走り続けるだけなら拷問でしかありません。

まして人は失敗もするし、人を傷つけることもある。取り返しのつかない過ちを犯すこともあるでしょう。

でも、どんなにひどい生き方をしても、誰かを傷つけても、イザナミは「おかえり」と迎えてくれるんですよね。

あんたみたいな子どもは帰ってこなくていい!!と拒絶することはないんです。

全てを受け入れて許し迎え入れてくれる。

 

途方もない広くて深い愛がそこにあると私には思えてならないんです。

 

イザナミがこの愛に至るまでのストーリーも機会があったら書いて見たいなぁと思うのですが、それはさておき・・・

 

私が来月の白山ツアーで

 

いのちの源、大地のビッグマザーの懐に抱かれながら

本当の自分に還って全力で世界を感じ、

大人も子どももど真ん中の自分と妥協なしで遊び尽くしましょう!

 

 

というテーマにしたのは、それが命のおかあさんへの最も『親孝行』だと思ったから。

それこそがまつりなんじゃないかなって。

私も、あなたも、一番愛されている存在で、みんなつながっている。

自分につながるたくさんのたくさんの命と一緒に、今この一瞬を喜んで生きる。

 

それが開山1300年を迎える白山のまつりに一番ふさわしいと思ったからなんです。

 

泰澄が伝えたかったのは、そんな途方もなく大きな愛の中で私たちは生きているんだよということだったんじゃないかなって、大谷寺で手を合わせながらそんな風に思った私です。