縄文真脇遺跡

石川県能登町にある北陸最大級の縄文時代の遺跡です。

 

 

三方を丘陵に囲まれた小さな入り江の奥に位置しています。

 

真脇遺跡はいくつかの点で非常に特徴的な遺跡です。

遺跡からは通常は残りにくい木製品や、動物の骨、植物の種子などが非常に良好な状態で出土しました。とくに前期末葉から中期初頭にかけての地層から出土した大量のイルカの骨は、縄文時代の人々の食生活を明らかにする大きなヒントとなっています。

 

そして縄文時代前期初頭から晩期終末のものまで途切れることなく遺物・遺構が出土していることから、およそ4000年もの間この地で人々が継続的に生活していたということが伺えます。このような遺跡は全国的にも非常にまれです。

(公式サイトより抜粋)

 

写真は発掘されたサークル状の柱を復元したものです。(環状木柱列(かんじょうもくちゅうれつ)と呼びそう)

 

巨大な柱が真円配置で、線対称形に並べて立てられています。

このような環状木柱列は縄文時代晩期の北陸地方だけに出土する特殊な遺構だそうです。

どの柱も丸太ではなくかまぼこ状に割られてた上、平らな面を外側にして立てられています。

そしてさらに特徴的なことは、この環状木柱列は同じ場所で何度も立て替えられているということ。

(少なくとも6回の立て替えが認められたとか)

 

諏訪や伊勢では今でも柱建てという神事がありますが、こうしたウッドサークルの存在はその儀式は縄文から続いたものだったのではないか?いう説があるそうです。

この柱は最も腐りにくい栗の木を使ったそうですが、それでもいつかは腐ってしまいます。

きっとこの場所は彼らにとって特別な聖地だったのだと思います。

神殿もない時代、このサークルに囲まれた場所は神と共に命の巡りを祈る場所だったのではないでしょうか。

神の降り立つ柱が腐っては困ります。だからこそ定期的に立て替える必要があった。

諏訪や伊勢の御柱祭や、御遷宮の思想はこのような背景があったのではないかと思います。

 

 

(2016年8月7日訪問)

 

石川県鳳珠郡能登町字真脇48-100