能登部神社

石川県中能登町にある式内社(平安時代に残された延喜式神名張に記録されている神社のこと。つまり公式に記録された古い社)です。

 

【ご祭神】

能登比古神(のとひこのかみ、かな?)

大入杵命(おおいりきのみこと)

 

【由緒】

当社は能登国造の祖能登比神及び能登臣の祖大入杵命を祀る。社伝に大己貴命当地に巡行ありて、わが苗裔(びょうえい:遠い子孫)たれと、式内能登生国玉比古神社は当社なり、その後崇神天皇(10代天皇)の皇子大入杵命(おおいりきのみこと)、当地に下向あり殖産興業の道を開き給う、薨し給うや郷民その徳を慕い郷土開拓の祖神とし崇め祀る。前田利家公入国に当り、深く当社を崇敬し、その室寿福院は当地に住みて、藩主利常公を出産す。以来藩主の産神として深く崇敬さる。明治4年現社号に改む、同14年御社、昭和7年県社に列す。

 

 

大己貴命が少彦名命とともに、国造りをした際にこの地で二人の兄妹神と出会う。

その兄神が、能登比古神で、妹神が能登部下に鎮座の能登比咩神社だそうです。

 

その後、崇神天皇の皇子である大入杵命が妹の沼名木入比賣命(ぬなきいりひめのみこと)を誘い、この地に滞在されたことにより、能登部郷を兄村・妹村と呼んだということです。

 

沼名木入比賣命はどんな方なのかと思い調べたところ、

崇神天皇の時代、天照大神を豊鋤入姫命に、大國魂神を渟名城入姫命(=沼名木入比賣命)に祭らせたのだそう。

ところが渟名城入姫命はその後、髪が抜け落ち痩せ衰えて、祭祀不能になってしまったのだと言います。

大國魂神とは大己貴命の荒魂、大物主神と同神と考えられています。

 

さて、中能登町の産業と言えば麻織物が有名です。能登上布という日本屈指の本麻手織上布が今も残されていて、『崇神天皇の皇女がこの地に滞在した際に野生の真麻で糸を作り、地元の婦女子に機織りを教えたことが能登上布の起源であると』言われているとか。

つまり沼名木入比賣命がこの地で麻織物を伝えたということですね。

なんと2000年の歴史があるとも言われています。能登上布会館では手織り体験もできるので着物や麻に興味のある方は是非^^

 

麻のソフトクリームなども道の駅で販売していたりもします。

中能登町は石川県でそれほど有名な町ではありませんが、歴史的に見てもなかなか面白い町なんです。

また少しずつご紹介していけたらいいなと思います。

 

「神楽歌」

能登の国原朝日刺す

能登部の里や 玉寶山

宮居高知る 大神乃

御陵威尊とみ 神詣で

瑞桓乃宮 大日和

秋津島根の 手振りをば

振るや眞衣手に木綿垂乃

懸てぞ頼む惟神

神と人との差別立ちし

「?」世の隆昌を玉敷の

磯城朝廷に生れ出て「?」

神の御稜威の尊さよ

 

一部読めなくてすみません。

 

(石川県鹿島郡中能登町能登部上ロ70 )