2月11日、建国記念日。
京都府山科にある天智天皇陵(御廟野古墳)へ行ってきました。
朝日の中、木に積もった雪が時折小さな音をたててぱらりと降ってきます。
静かな空間になんともいえない力が溢れている場所。
天智天皇は第38天皇で、近江神宮にお祀りされている方です。
まるでそんなの常識でしょ?と言うような書き方をしましたが、実はこのときまで恥ずかしながら「天智天皇って誰だっけ?」というレベルでした。
大化の改新で有名な中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)のことで、そのお名前は私でも聞いたことがありました。
こうした古墳は誰が埋葬されたものなのか、その人物は実在したのか?ということが証明できないものがほとんどだそうですが、
こちらの御廟野古墳は「天智天皇陵」と呼称してもほぼ間違いなく、こうしたケースは非常に稀だそうです。
私はこれまで大化の改新=クーデターだと思っていたけれど、違うんですね。
乙巳の変(いっしのへん)と呼ばれるものが事実上のクーデターであって、大化の改新はその後に行われた政治改革のことなんですって。
常識なのかな。私知りませんでした。
天智天皇がどのような思いで大化の改新を進めたのか。
天智天皇にとっての国作りとはなんだったのか?
そのとき何を見て、何を思っていたのか。
そんな視点でこの場に佇んだとき、記号と数字の世界だと思ってきた「歴史」の中に体温を感じるように思いました。
熱い血と、情熱から生み出された結果が、これまでの積み重ねられた歴史というものなんだなと。
目に見える、記録に残る歴史を知ることも大切だと思うけれども、その「出来事」から体温を感じることが歴史を知るってことなんじゃないかなって思ったりしています。
私たちの体に刻まれてる歴史。
天皇はじめ歴史に名を残す方たちは、その時その時に生きる民の思いも苦しみも憤りも悲しみも、嫌でも背負って生きてたんですね。
その膨大なエネルギーをどう流して進めて行けばよいかを、悩み苦しみながらも、先の見えない藪を切り開くように先に立って進んでいたんじゃないかなぁ。
その道筋は、後になれば間違っていたように見えることもあるだろうし、屍のゴロゴロ転がるひどい痕跡になったことも多いのだと思うけれども…。
でも、その先頭に立って何を見て何を思って歩き続けたのかと思ったら、切ないような愛しい思いが湧いてきました。
政治に関わる人が狂ってしまいがち(のようにも見える)のは、膨大なエネルギーを背負うからじゃないのかと。
カップラーメンの値段を知らないような政治家に何が庶民の暮らしがわかるもんか!なんてよく言いますが、私たち一人一人の心のエネルギーって信じられないくらい強いものだと思うんです。
国が悪いのは政治家が悪いせいだって批判するのは、歴史と自分を切り離して分離させてる生き方なんじゃないかな。
歴史を知るということは、いつ頃、誰が、何をしたかという事実を覚えることではなくて
その人が何を見て、何を思って、積み重ねられた出来事の中にある『想い』を感じることなのかもしれない。
過去は変えられないと当たり前のように言われます。
けれども、その出来事から何を感じて何を受け取るかは自分で決められるんです。
この場所でメッセージを受けたけれど、それが天智天皇からのメッセージだなんて言う必要もないし、誰かに認めてもらう必要もないんだなとこの時思いました。
それは私のDNAに刻まれてるご先祖からのメッセージなのかもしれません。
この土地に染み込んだ平和を祈る人々の想いなのかもしれません。
ご案内していただいた神力車祥平さんの語る言葉に響いた私の心が生み出したものなのかもしれません。
なんにせよ、血の通った熱い愛の言葉がこのとき私の中にありました。
ただ、それだけでいいんだと、このとき思ったんです。
(京都府京都市山科区御陵上御廟野町)