白川神社

東海道49番目の宿場であった土山宿は、東海道を挟んで北土山村と南土山村に分かれていたそうです。

 

その両村でそれぞれ宿場を運営していて、北土山村は田村神社、南土山村は白川神社が村の神社になるのだとか。

 

土山には電車の最寄駅がないこともあり、甲賀市の中でも比較的交通の便が悪いせいもあるのか、宿場町は今も歴史を感じさせる町並みが残っています。

かつての土山は古く平安の時代から京と伊勢を結ぶ交通の要所として栄え、鈴鹿峠を控えた街道の難所として旅人たちで賑わいました。

また、東海道と中山道を結ぶ「御代参街道」の分岐点であったこともあり、多賀大社への参詣や近江商人たちに多く利用された宿場町だったそうです。

 

白川神社の主祭神は、速須佐之男尊(ハヤスサノオノミコト)、天照大神(アマテラスオオミカミ)、豊受大神(トヨウケノオオミカミ)。

境内社には愛宕社、松尾社、稲荷社。

大正9年には、蟹が坂の瀬戸山にあった榎嶋神社の祭神、市杵嶋姫命および五瀬にあった一杵松神社の祭神、猿田彦神社、大山祇神が合祀されています。

 

境内にある土俵では毎年夏に泣き笑い相撲が行われます。

約250年程前の江戸時代、土山に来ていた「茶師」と地元の若者がお茶とお米の豊作を祈願して宮相撲「泣き相撲」を始めたといわれているとか。

 

泣き笑い相撲は生後6ヶ月位から3歳位までの男児女児を、役員「神人」がお預かりして西から土俵に上がり、東から「ひょっとこ」が上がります。

行司の采配で重々しくまた面白く「ニラミアイ」「ナキアイ」「ワライアイ」をします。

(甲賀市観光ガイドより引用)

 

その翌日の本祭りでは甲賀地方のスサノオを祀る神社に多く行われている「祇園花行事」が行われます。

花を奪い取ることから別名「ハナバイ」とも呼ばれ、「扇鉾」と、花の精にあおられて陽気の中に飛散する悪疫を風流傘「花傘鉾」に宿らせて、祇園社に送り込み神意を仰いで鎮めるというもの・・・だそうです。

「ハナバイ」は他の地区でも行われますが、ここ白川神社のものが最も激しいと言われているそう。

 

ちなみに甲賀市の祭りは大きく分けて

  • 太鼓祭り(伊賀に同様のお祭りが多いので繋がりを感じます)
  • 祇園花行事(スサノオ系列)
  • 曳山祭(水口で行われる)

の3つに分類できるのではないかと思います。

他にも特徴的なお祭りがたくさんあって、渡来系の文化を感じさせるものもありとても興味深いです。

 

最後の写真は「山神」です。

古くから続くこの「山神」さまのお祭りの仕方も面白いので、機会があったら記事にしてみたいと思います。

(滋賀県甲賀市土山町南土山261)