糟目犬頭神社

糟目犬頭(かすめけんとう又はいぬがみ)神社は愛知県岡崎市にある、創建701年という式内社(簡単に言えば古い神社)です。

 

元々のご祭神は彦火々出見(ひこほほでみのみこと)。昔話でいう海彦山彦の山彦の方、と言えばわかりやすいでしょうか?

そこに熊野三所権現(イザナギ・イザナミ・スサノオ)と犬頭霊神と豊受姫命(とようけひめのみこと)を合祀しています。

ここに出てくる犬頭霊神はなんだ?と言いますと、ここにはこんな伝承が残っているんです。

 

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上和田城主の宇都宮泰藤が、当社の近くで鷹狩をし境内の大杉の下で休憩をしていた。

ところが、大杉の上には大蛇がおり、泰藤を襲おうとした。

泰藤がつれていた白い犬が、これに気づき、吠えて主人に知らせようとしたが、泰藤は寝ていて気づかなかった。

犬は三度吠え続け、目が覚めた泰藤は、犬の吠えることを怒り犬の首をはねてしまった。

はねられた犬の首は飛び上がり、大蛇の喉に噛み付き主人を救った。

大蛇に気づいた泰藤はこの犬に感謝し、犬の頭を手厚く葬りこれを祀ったという。

また、犬の尾は犬尾霊神として、下和田新宮に祀ったという。

 

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主人に危機を知らせたのにうるさいと言って愛犬の首をはねちゃったなんてひどい!と思われるかもしれませんが(笑)同様の義犬伝説は全国各地に残っています。
それが何を意味するのかは今はおいておいて、この犬の首を埋めたのが境内にある池の小島だとされています。

でも、実際ここに埋められているのは犬の首ではなく南北朝時代に活躍した武将、新田義貞の首だというのが真相のようです。
小島のある弁財天社の前にはこんな案内板が。

 

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当社境内にある池の小島は、宇都宮泰藤が京都の獄門から奪った主君新田義貞の首を埋め、世間の人に知られないように犬の伝説を作り、犬の首だとふれ流したものであろう。

義貞の首を犬の首だと称し、柵を作った者に柵木を、塚を築いたものに犬塚の姓をあたえ塚を守らせ、義貞の菩提を弔い仏門に入り妙国寺で一生を終わったことなどから考え合わせても義貞の首のようである。

 

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新田義貞というのは建武の新政で活躍した武将で、足利尊氏のライバルとも言われた人です。

南朝方について、湊川の戦いでは楠木正成と共に戦いますが敗走。北陸に逃れ最後は福井県で討ち死にしたといいます。

(その場所が福井市の新田塚町という地名になり残っています)

 

と、まるでそんなの常識でしょう?と言うように書いていますが、調べながら書いているだけなので知りませんでした^^;
ただ、名前だけどこかで見た記憶があるなぁと思っていましたら思い出しました!

合戦で初めて犬を使ったということで一部マニアックな人には有名な犬使いの畑時能は新田義貞の家臣なのでした。
(3000の敵兵を、わずか16騎&犬獅子で翻弄したという
畑時能の話もすごく面白いのですが、長くなりすぎますので残念ですが省略)

ということは?
新田義貞の首塚を犬塚といい、塚を守った『犬塚氏』はもともと犬飼(犬使い)の血筋だったのかもしれません。

また岡崎を含む三河には犬頭糸と呼ばれる最上級の絹糸があり、養蚕にまつわる犬の伝説も残っています。
書きたいことがまだまだあるのですがそれはまたの機会に!

 

最後に、犬つながりで言いますがこちらの狛犬は通称スフィンクス型とも呼ばれる?おかっぱ頭のようなちょっと珍しい形です。
越前や加賀に多いと言われ、白山狛犬とも呼ばれています。
こちらは岡崎市指定文化財とのことですがいつ頃作られたものなのかなぁ?

本殿のまわりの柵のすき間から撮影しているので年号まで見えなくて残念です。

 

(愛知県岡崎市宮地町字馬場31)