酒人(さかんど)神社

酒人と書いて「さかんど」「さかと」「さかひと」などと呼ばれているそうです。

境内はきれいに整えられていて、地域の方から大切にされている場所なのだというのを感じます。
それにしても本殿の前にカーポートとは・・・
確かに濡れずに参拝できますし便利なのでしょうけれど、ちょっとそこは残念でした。

 

美酒発祥の地とされています。(清酒の醸造が初めて行われた地)
主祭神は酒人親王。

貞観年間(859年から877年)に宇津左衛門によって、清酒の祖神として祀られたと伝わっています。別名、酒人天神・三本木の宮。

酒人親王というのは6世紀ごろ中国から 鍛冶や織物、大工、酒づくりの技術を持って日本に帰化した阿知使主※(あちのおみ)の子孫で、 朝廷の支配力が全国に及ぶようになった時期に、この地に移り住み、我が国で 初めて清酒を醸造したと言われています。
※阿知使主:古代の渡来人。東漢氏やまとのあやうじの祖とされる。応神天皇の時、多くの民を率いて渡来し、のち呉国に遣わされ、織女・縫女を連れ帰ったとされる。

一説には、祭神は彦坐命(ひこいますのみこ)とも考えられている。

彦坐命は酒人造の祖神。

また、継体天皇の皇子・菟皇子※(うさぎのみこ)を酒人公の祖とする説もあるとか。

いったい祭神が誰なんだかさっぱりわかりませんね^^;
「親王」というのは皇族の男子に与えられる最高位の称号です。
でも「酒人親王」と検索をかけても該当する人が出てきません。
そのかわり「酒人内親王」は出てきます。
内親王はプリンスじゃなくプリンセス・・・
この酒人内親王は桓武天皇の后でなかなかに面白い方なのですが、そもそもこのプリンセスが「酒人」と呼ばれたのは、乳母が酒人連の出身だったからなのだそうです。
となると、継体天皇の末裔といわれる酒人氏の子孫が酒人内親王の乳母だったということになるのかな。

ところで日本の酒つくりは渡来人からもたらされたというのが通説で、この神社の由来もそうなってますし、酒の神様で知られる京都の松尾大社も秦氏の神社です。
でもね、日本酒は米麹を使いますよね?
朝鮮半島や中国のお酒は麦麹を使うそうなんです。
以下はWikipediaからの抜粋ですが


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この献上より前にも麹による酒造法は日本に存在しており、応神天皇19年に吉野の国樔(くず)が醴酒(こざけ)を献上したという記述が見られる。「国樔」は「国主」「国栖」とも書き、奈良時代以前の日本各地に散在していた非農耕民で、その特異な習俗のため大和朝廷からは異種族扱いされていた人々である。『延喜式』の記述によれば、その国樔が献上した酒でも醴酒という米と麹を使用して造る酒であったことがうかがえるので、麹による醸造法は当時既に全国的に普及していたと見られる。養老1年(717年)には美濃国から献上された醴泉で醴酒を造ったとの記述も『続日本紀』にある。

また、麹の種類の問題もある。現在中国や朝鮮半島で酒造用に用いられているのは麦麹(餅麹)がほとんどであり、その中身はクモノスカビやケカビが中心であるが、日本酒は米麹(バラ麹)であり、その中身は純粋なコウジカビである。朝鮮半島経由で麹による酒造法が伝えられたのであれば、それは当然麦麹であったはずで、日本にマッコリのような麦麹を用いた酒が存在した記録がない以上、朝鮮半島起源説は成り立たない。

近年では、稲こうじ病により稲穂に自然に発生したカビの塊、すなわち稲麹を利用したのが日本における麹の起源であるとする説もある。


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だそうなんです。

日本では弥生時代から麦も作られていたそうなので、酒造りが大陸から伝わったのだとしたら麦麹を使いそうですよね?
なのに広まったのは米麹を使った日本酒だったわけで。
それはなぜなのでしょうね?

ちなみにあまり知られていないと思いますが、日本での麦酒発祥の地は滋賀県の甲賀市にあります。
甲賀忍者発祥の地であり、甲賀忍者(甲賀武士)が修行をしたという山岳修験道の飯道山のふもとにある総社神社に今も麦酒つくりのご神事が残っています。
毎年7月18日は麦酒祭が行われて参拝者にもふるまわれるそうなので、興味ある方は行かれてみては?

そして甲賀忍者のルーツは伊賀だといわれます。
伊賀一宮の敢国神社は諏訪の流れをひく服部氏(※忍者ハットリ君の服部ですw)が代々祭祀をつかさどってきたのですけれど、服部氏のルーツといえば酒の君と呼ばれる方。
酒の君というのは秦酒君。渡来人の代名詞、秦氏なんです。


ずいぶん脱線してしまいました(笑)
酒と織物の話はどんどん広がってしまうので今日はこのあたりで〆ます。


(愛知県岡崎市島坂町酒人木ノ元328 )