真福寺

真福寺は物部守屋の次男、真福(まさち)が願主となって建てられたと言われています。

大和朝廷の最有力者の一人であった物部守屋は、聖徳太子・蘇我馬子らと対立し破れました。

追放された物部一族のうち、次男・真福(まさち)が三河に住み着き、村積大明神を守護神として村積山頂に本殿を建立しました。
真福寺はその神宮寺※になるのではないかな?と思います。

(※神宮寺:日本古来の神様と仏様が結びつ、奈良時代の初めから、神社には神宮寺が置かれるようになりました。神仏習合思想は神様と仏様は対立するものではなく互いに助け合って存在しているという考えのものになりたっているものです)

私たちが学校で教わる日本の歴史では、仏教を導入しようとした蘇我氏と、仏教を排除しようとした物部氏が争ったと言われていますよね。
けれども、その子孫である物部真福はこうして神も仏も大切にしているんです。

真福寺の公式HP由緒によると

『推古天皇二年(西暦594年)物部の守屋の次男真福が山の頂きより霊光かがやき端雲たなびくをみて不思議に思い訪れたところ、滾々と湧き出る泉を発見した。

しばしたたずんでおられた真福は日頃信仰しておられた薬師如来が水中より顕れ出られ、(是好良薬今留在此)と誦して再び泉の中に姿を消された。

これを目の当たりにして非常に感激し末代まで伝えようとして本堂を建立したのが真福寺の始まりである。』

とあります。

なお、こちらの本尊は井戸の水。

本堂の中心に八角の御堂があって、その中の井戸の水が本尊ということになっています。

水の体の薬師、水体薬師様。この水がとても目と身体によいということで、1400年にわたって水の信仰が続いています。


真福は毘沙門天の化身とされており、開山堂には毘沙門天がお祀りされています。

境内には八所神社があり、かつては物部神社と言われていたそうです。

 

本堂への参堂と神社への参道が並んでいて、同格な感じですが位置的にいえば本堂より上に社殿があります。

もともと真福寺創建より前に祠があり、その祠を八所権現と称し白山比咩命を祀る白山社を奥の院と呼んでいたそう。

明治維新後には八所権現を奥の院と称する白山客へ遷座し八所神社にいたっています。

金毘羅社 秋葉社 津島社の三社を相殿として合祀して今の形になったそう。

由緒書の写真では祭神が(白山比咩命)って最後に()書きになっているけれど、そもそもの祭神は白山比咩命なのだよね。ややこしい…

白山比咩命ってククリヒメと思うかもしれないけれど、本来の白山比咩命ってイザナミさん。

主祭神をカグツチだと書いてるサイトもあったのだけれど、多分このわかりにくい書き方をした由緒書の石碑のせいだと思います。

秋葉社は後で合祀されているわけだから、奥の院の白山比咩命が主祭神でいいのではないかな。

さて。全国各地の犬伝承の地を巡っている私ですが、思いがけずこちらでも出会えました。
本堂の裏手をぶらぶら歩いているときに小さなお社を見つけたんです。
こちらは神社の案内図やHPには一切書かれていません。だから見つけたのは嗅覚のみ(笑)福寿竜王社です。

由緒書をそのまま書きますね。

 

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むかし、真福(まさち)は子供がいじめている青へびを助けたところ、夢枕に美しい女の人が現れ

「私は助けていただいた青へびです。実は海の竜王の娘です。お礼に白い犬をさし上げます。毎日、三升のお米を食べさせてください。」

と言い、目が覚めると真福のそばに犬が座っていた。

言われたとおり、三升のお米を食べさせると三升の砂金を吐き出した。

お金持ちとなり長者と呼ばれるようになった。

真福長者が犬を飼っていたところを犬飼畑、蔵を建てたところを蔵前という地名になっている。

また、当山でお籠もりをしている信者が、夜中に奇妙な泣き声を聞いた。

次の朝、大師堂にお参りに行こうとすると、大師堂の裏から本堂の縁の下へ伸びる、三尺あまりの太さのわだちのようなものが続いていた。

不思議に思い行者に相談すると、大蛇がご霊水を飲みに現れたのだといい、この祠に閉じ込めた。

 

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祠の中に小さい犬がちょこんっているんですよ。

ちゃんと米もお供えしてあります。今度行ったら砂金になっているのかもしれません(笑)

 

かつて真福寺のあたりまで海だった時代があったそうで、この穴からほら貝が掘り出されたそう。

そのほら貝は伊勢の海から地下をくぐってきたという伝承があります。

『真福寺のほら貝の穴が伊勢とつながっている』

ほら貝は結界を張るために使います。

結界とは「繋がりたい世界に結ぶ場を作る」ということ。

つまり伊勢と岡崎のこの地は繋がりがあるということ・・・と私は思いました。

その確信は次に訪れた時にさらに深まったのですが、それはまたあらためて!

 

(愛知県 岡崎市真福寺町薬師山6)